松平 頼真(まつだいら よりざね)は、江戸時代中期の大名。讃岐高松藩の第6代藩主。官位は従四位下・讃岐守、左近衛権中将。

生涯

寛保3年(1743年)1月23日、第5代藩主・松平頼恭の長男として誕生した。明和8年(1771年)に父が死去したため家督を継いだ。安永元年(1772年)12月に従四位下・左近衛権中将に叙位・任官した。

風水害や高松の大火などの災害にたびたび悩まされ、困窮した領民からの租税を免除して救済に努めている。しかし父の時代に行なわれた改革の影響もあって、次第に藩財政は好転し、安永5年(1776年)6月には藩士の知行を元に戻すなどしている。安永8年(1779年)に藩校・講道館を創設し、初代総裁として後藤芝山を招聘した。

安永9年(1780年)3月5日、江戸で死去した。享年38。実子の雄丸(のちの頼儀)は6歳という幼少のため、跡を異母弟で養子の頼起が継いだ。

系譜

  • 父:松平頼恭(1711年 - 1771年)
  • 母:八代姫(1720年 - 1778年) - 花姫、清操院、細川宣紀の七女
  • 正室:薫姫 - 徳川宗直の十女
    • 長女:美代
  • 側室:深谷氏
    • 次女:勝 - 酒井忠進婚約者
  • 側室:中山氏
    • 長男:松平頼儀(1775年 - 1829年)
  • 側室:永石氏
    • 次男:友三郎
  • 養子
    • 男子:松平頼起(1747年 - 1792年) - 松平頼恭の四男

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