ビセンテ・デラクルーズ・パディーヤ(Vicente de la Cruz Padilla、1977年9月27日 - )は、ニカラグア・チナンデガ県チナンデガ出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
アマチュア時代
1998年のIBAFワールドカップにニカラグア代表として出場し銅メダルを獲得。
ダイヤモンドバックス時代
1998年8月24日に、アマチュアFAでアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約。
1999年6月29日にメジャーデビューを果たす。5試合に登板して防御率16.87と結果を残す事が出来なかったが、貴重な経験を積んだ年になった。
2000年はリリーフ投手として27試合に登板し、防御率2.31と好投を見せる。5月9日のロサンゼルス・ドジャース戦では初勝利をあげた。
フィリーズ時代
2000年シーズン途中の7月26日にカート・シリングとのトレードで、オマー・ダール、ネルソン・フィゲロア、トラビス・リーと共にフィラデルフィア・フィリーズへ移籍。フィリーズでは28試合に登板し、防御率5.34と結果を残す事が出来なかった。
2001年もリリーフ投手として登板し、防御率4.24とやや復調した。
2002年より先発投手へと転向し、開幕から先発ローテーションに定着。オールスターゲームにも初選出され、シーズンでは32試合に登板し、14勝を挙げた。
2003年2月5日にフィリーズと1年契約に合意。シーズンは先発投手としてフル回転し、2年連続となる防御率3.00台と14勝を記録した。オフに、地元ニカラグアで乗っていた車が追突事故を起こし、同乗者の1人が死亡。パディーヤ自身も骨折を負った。
2004年1月30日にフィリーズと1年契約に合意。5月29日に肘の故障で15日間の故障者リスト入りし、8月10日に復帰した。この年は怪我の影響もあり、20試合の登板にとどまった。
2005年も前年からの肘痛が完治せず、3月30日に15日間の故障者リスト入りした。4月19日に復帰。27試合に登板したものの、2年連続で2桁勝利を逃した。
レンジャース時代
2005年12月12日にトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍した。
2006年1月28日にレンジャーズと1年契約に合意。シーズンは先発ローテーションに定着。8月15日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦で危険球を投じたため、8月17日にMLBが5試合の出場停止処分を発表した。防御率は4.00台だったが、勝利と奪三振で自己ベストの数値を記録した。10月30日にFAとなったが、12月9日にレンジャーズと3年契約に合意した。
2007年もレンジャーズの先発の軸となったが、9月18日のオークランド・アスレチックス戦でニック・スウィッシャーに投じた球が死球となり、それが原因で乱闘騒ぎを起こし、9月18日に7試合の出場停止処分を受けた。
2008年は防御率は4.00点台だったが、チームトップの14勝を記録。
2009年8月7日にDFAとなり、8月17日に放出された。
ドジャース時代
2009年8月19日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。8月26日にメジャーへ復帰した。11月6日にFAとなった。
2010年1月21日にドジャースと再契約した。右前腕の故障で4月23日から欠場し、6月19日に復帰。8月10日には対フィリーズ線で全球団勝利を達成も8月19日から首の故障で戦列を離れた。11月1日にFAとなったが、12月9日にドジャースと再契約した。
2011年3月31日に右腕の故障で、15日間の故障者リスト入りした。4月22日に復帰。5月18日に前腕を故障し、5月19日に再び故障者リスト入りした。9月6日に60日間の故障者リストへ異動し、そのままシーズンを終えた。この年は9試合の登板に終わり、10月30日にFAとなった。
レッドソックス時代
2012年1月16日、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。4月4日にメジャー契約を結んだ。リリーフ投手として56試合に登板し、4勝1敗1セーブ、防御率4.50だった。10月29日にFAとなった。
ソフトバンク時代
2013年1月30日、福岡ソフトバンクホークスと1年契約を結んだ。年俸は290万ドル(約2億6400万円)プラス出来高払いの総額325万ドル(約2億9600万円)。背番号は42。NPB史上デビッド・グリーンに次ぐ2人目のニカラグア出身選手である。
通算としては3勝に終わり、10月15日、球団から退団が発表された。
ソフトバンク退団後
2015年7月にはパンアメリカン競技大会にニカラグア代表で出場した。2試合に登板し0勝1敗の成績で、チームもグループリーグの突破は果たせなかった。
2020年/2021年シーズンより、ニカラグアのウィンターリーグ(LBPN)に所属するティグレス・デル・チナンデガの監督を務めている。
選手としての特徴
150km/h前後の速球(フォーシーム、シンカー)・スライダー・チェンジアップ・スプリットなど多彩な変化球を持つ。また、80km/h前後のスローカーブも投げる。
内角を厳しく攻めていわゆるビーンボールを投げる「ヘッドハンター」と疑われており、2006年にはリーグ最多の17与死球を記録している。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- MLB投手記録
- 初登板:1999年6月29日、対シンシナティ・レッズ7回戦(シナジー・フィールド)、9回3番手で救援登板・完了、0回3失点で敗戦投手
- 初ホールド:1999年7月2日、対セントルイス・カージナルス5回戦(ブッシュ・スタジアムII)、7回2番手で救援登板、0回1/3無失点
- 初奪三振:2000年5月7日、対サンディエゴ・パドレス7回戦(バンク・ワン・ボールパーク)、8回表にEd Sprague, Jr.から空振り三振
- 初勝利:2000年5月9日、対ロサンゼルス・ドジャース2回戦(バンク・ワン・ボールパーク)、延長11回6番手で救援登板・完了、1失点
- 初セーブ:2000年8月23日、対シンシナティ・レッズ6回戦(シナジー・フィールド)、9回4番手で救援登板・完了、0回2/3無失点
- 初先発・初先発勝利:2002年4月3日、対アトランタ・ブレーブス2回戦(ターナー・フィールド)、6回1失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2002年5月10日、対アリゾナ・ダイヤモンドバックス1回戦(ベテランズ・スタジアム)
- MLB打撃記録
- 初安打:2000年7月1日、対シンシナティ・レッズ2回戦(バンク・ワン・ボールパーク)、7回裏にエルマー・デセンスから中前安打
- 初打点:2002年4月25日、対サンディエゴ・パドレス3回戦(ベテランズ・スタジアム)、2回裏にBobby Jonesから適時左前安打
- MLB節目の記録
- 1000投球回:2007年4月19日、対シカゴ・ホワイトソックス3回戦(USセルラー・フィールド)、4回裏にジャーメイン・ダイからセンターフライで1死
- 1000奪三振:2010年4月22日、対シンシナティ・レッズ3回戦(グレート・アメリカン・ボール・パーク)、6回裏にマイク・リークから空振り三振
- 100勝:2010年6月30日、対サンフランシスコ・ジャイアンツ6回戦(AT&Tパーク)、7回1失点
- 1500投球回:2010年8月10日、対フィラデルフィア・フィリーズ1回戦(シチズンズ・バンク・パーク)、1回裏にプラシド・ポランコからセカンドゴロで2死
- MLBその他の記録
- オールスター出場:1回(2002年)
- 開幕投手:1回(2010年)
- NPB投手記録
- 初登板・初先発:2013年4月4日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(西武ドーム)、5回3失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回裏に片岡治大から見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2013年5月20日、対中日ドラゴンズ2回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、6回4失点
- 初ホールド:2013年7月26日、対北海道日本ハムファイターズ12回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、7回2番手で救援登板、1回無失点
- NPB打撃記録
- 初安打:2013年5月26日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、7回表に江村将也から中前安打
背番号
- 45 (1999年 - 2000年)
- 44 (2000年 - 2012年)
- 42 (2013年)
脚注
関連項目
- ニカラグア出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
- 中南米出身の日本プロ野球外国人選手一覧#ニカラグア
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 ビセンテ・パディーヤ - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)




