戸川 安章(とがわ やすあきら、明和7年(1770年)- 天保10年6月2日(1839年7月12日)は、江戸時代後期の幕臣(旗本)・知行3000石。通称は大次郎。

先代・村眞の子として生まれる。母は小笠原政方の娘。妻は堀長尚の長女、後妻は堀長尚の次女。

文化4年(1807年)、父の死により家督相続する。

備中国は綿の産地の一つであり、和漢三才図会では摂津国と備後国の次に質が良いという。天保元年(1830年)頃からは足袋や小倉織が佐藤栄八・姫井甚七治らにより発展しつつあったが、知行所は財政難のため産業振興策をとる余裕がなかった。

天保4年(1833年)から天保の大飢饉に見舞われると、財政難に一層拍車をかけた。そのため、天保9年(1838年)から5年間の倹約令を出した。

江戸では、使番・先鉄砲頭・小石川口門番役を歴任した。

天保10年(1839年)6月2日没。


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戸川達安

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